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代表 理学療法士 畠山 浩一

心身共にほほ咲みを

今まで、脳神経外科・小児脳神経外科、訪問看護ステーションでの勤務を経験してきました。
病院勤務と訪問看護、両方経験してわかった事は、訪問看護は「その人らしい人生」に直接関わるという事です。疾患を抱えていても、その人らしく過ごしたい日常や、目標・夢があるということ。我々コメディカルができる事は微力かもしれませんが、一緒に考えることはできます。
高齢化が進み、高齢者世帯が増え、独居の方も多いです。悩みや不安に寄り添い、少しでも笑顔を絶やさず健康に過ごしてもらいたい。自分自身、祖父母には生前たくさんの事を教えてもらいました。高齢者がいるから今の自分たちが在る。高齢者と関わり、色んな生き方を目の当たりにする度に、そう感じています。
病院勤務では、小児の様々な疾患に関わらせていただきました。同時に、多くの親御さんの悩み・不安もお聞きしてきました。今までの経験を生かして、それぞれの子の人生、家庭の方針・意思に沿って少しでも安心して生活できるよう支援させていただけたら幸いです。
年齢問わず、関わらせていただく方の笑顔を咲かせられるよう、寄り添っていきたいです。

管理者 看護師 濱田 梢

病院と在宅の架け橋となれるように

大学病院・中核病院の血液腫瘍内科、総合内科で長年勤務し多くの患者様の急性期~終末期、お看取りまでの経験があります。出産・子育てを機に訪問看護の道に進みました。
医療の発達により高齢者や持病のある方でも、体に負担の少ない治療が増えています。
治療を行っている方の背景には、大切な生活や価値観があり、病や障害があってもその人らしく生活す
るために、訪問看護と病院との連携が不可欠であると実感しています。
訪問看護を導入する事で、医師の指示の下に病院と同様のケアの継続や、心身の体調の変化に気付き、早急に対応する事ができます。また、利用者様とご家族の想いや価値観を尊重し、療養生活や治療の方向性等の意思決定を全力で支援いたします。病や障害を抱えていても、自宅で安心して暮らしていただきたい。訪問看護が病院と在宅の架け橋となり、より身近な存在となっていただけるよう真心を持ち、誠実に関わらせていただきます。

主任 作業療法士 萩原 陽子

自分らしく、その人らしさを支える存在になりたい

子供の頃、施設に入所していた自分の祖母に会いに行き、祖母と優しい笑顔でふれあう寮母さんを見て、温かい気持ちになった事を記憶しています。それから私は、笑顔は人を元気にできるという信念を元に、一般企業で接客中心の仕事で社会経験を経た後、体の不自由な方の役に立てる仕事に就きたいという想いから、介護職員初任者研修を取得後に、病院での介護職を経験。作業療法士の資格を取得して、内科、整形外科、リウマチ科診療の病院に勤務し、リハビリ特化型デイサービスや訪問看護ステーションでの勤務も経験しました。
医療保険や介護保険制度についての知識や、老いや病気等で悩む方々との出会いを通して様々な理解を深めてきました。
自分が生まれ育った恵庭市で、同じ志を持つ仲間達と共に地域の人達を支え、貢献できる事を嬉しく思います。リハビリテーションは単なる機能回復ではなく「自分らしく生きること」を取り戻す活動です。
利用者様へ寄り添い、心通わせた関わりで、その人らしく笑顔で過ごせるようにお手伝いしていきたいです。
看護師 中川 遥香

おうちで過ごしたい”を安心して選べるように

看護大学卒業後、血液腫瘍内科病棟に勤務し、急性期からお看取りまでの看護を経験しました。
たくさんの患者様とそのご家族と関わらせていただく中で、病院だけでは患者様とご家族の望む生活の
場を支えることは難しいと感じる機会が増えきてきたことが、訪問看護の道を志したきっかけです。
病とともに生きる患者様・ご家族にとってよりよい選択肢のひとつでありたい、というのが私の訪問看護師としての思いです。
病院とは違う在宅の場での新たな看護や医療チームのチカラ、患者様との関わりの中で経験を積ませ
ていただき、訪問看護師として日々勉強させていただいています。 はなはな訪問看護リハビリステー
ションのチームの一員として、チームと患者様の力になれるよう一生懸命頑張っていきます。

看護師 近藤 優

優しさを届けたい

私が訪問看護を始めようと思ったきっかけは、年齢や性別を問わず、資格を生かして、人と人とが関われる仕事だと思ったからです。病院・病棟とは異なり、自宅へ訪問し、その人の生活の仕方、家族との関わり方、人柄を見て、聞いて、感じ取り、一人一人に寄り添った看護ができることに、とてもやりがいを感じています。
私自身、自宅で子育てをしているとき、子供の病気に対する不安や心配事が増えたとき、在宅にいても、誰かに相談できる環境や理解者がいてくれたら良いのになと、感じた時がありました。私も、同じような思いを抱いている人の支えになれたらと思います。
退院後の在宅治療など、病気によって様々な不安を抱えた患者様、家族の心の拠り所となれる看護師になりたい、一人ひとりの個別性を考え、どんな場面においても臨機応変に考え行動できるようになりた
い。そのような目標を基に、楽しみながら看護の仕事をしていけたらと思います。
小児脳外科医 高橋 義男
高橋医師がモデルの「義男の空」全12巻。
エアダイブ社より発刊。

大まかな経歴と現在

1949年2月17日北海道札幌市生。75歳 

札幌医科大学卒業後、中村記念病院、札幌医科大学脳神経外科学講座、市立函館病院、大川原脳神経外科病院(室蘭)などを経て、札幌医科大学脳神経外科学講座講師を兼務しながら北海道立小児総合保健センターに小児神経外科医長として長年勤務。現在は小児脳神経外科、小児神経科、小児リハビリテーション科の地域展開をするためにとまこまい脳神経外科を主に岩見沢脳神経外科、大川原脳神経外科病院、町立別海病院などで各病院の小児脳神経外科部長、小児リハビリテーション科部長を兼務しながら北海道各地を回って、小児神経外科、小児神経疾患の子どものプライマリーケア、療育及びキャリーオーバー、トランジションといった新生児期、乳幼児期に治療し、成人した患者さんを診ている。小児医療は大人になるまでの継続医療が必要で、子どもが社会に出てはじめて治療が終わる。彼らに青春、人生を謳歌させることが大きな目的である。ベストドクターズ社(米国の大学医師が設立)が選ぶ「Best octor in apan」にも選出された。

今迄のそして現在の積極的な活動は、エアダイブ社から発刊されている「義男の空」第1巻~12巻の中で描かれている。また、社会適応能力、職業適応力の獲得を主とした小児リハビリ(プール療育など)は全国から注目され、「不可能を可能に・・・」「みんな同じ人間だべや」をモットーに「ほっかいどうタンポポ」や「にわとりクラブ」「にわとりファミリー」などで展開、実践している。

その他、みんなまぜこぜ、Go Mix!を合言葉に全国の子ども達を対象にした体育館型能動的展開「いけまぜアドベンチャースクール」という子ども達との挑戦、冒険をNPOにわとりクラブ理事長として行っている。「子どもと遊び子どもに学ぶ」、「もちつもたれつ」がテーマ、子どもだけでなく大人、高齢者の参加も多い。

最近は小児の頭痛、発達障害、ストレス関連障害、不登校などに対し家庭、学校、地域連携を深めた効果的な治療、対応、育成を各地域で行っている。小児神経外科移行期医療(トランジション、キャリーオーバー)はライフワークで医療・療育の地域格差の解消を目指している。

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